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1988年3月26日、「メディアは死んでいた」#拉致被害者全員奪還

2018年7月16日時事問題

回も記事でご紹介した元産経新聞社会部記者阿部雅美氏による
「メディアは死んでいは大変な反響を呼んでいるようです。
この著書のなかで、著書阿部雅美氏が「メディアが死んでいた」日だと指摘しているのは、1988年3月26日。

今から30年前のことです。

この日は、政府が北朝鮮の国名を挙げて、人権・主権侵害の国家犯罪が十分濃厚であり、警視庁もそういう観点から捜査を行っていることを参議院の予算委員会の場で認めた日です。

政府の答弁者は、当時国家公安委員長梶山静六氏でした。この答弁はいわゆる「梶山答弁」と言われています。

この梶山答弁に至るまでの経緯を追ってみます。

1980年
1月
産経が、外国情報機関が関与と思われる3組のアベックの蒸発、1件の拉致未遂事件を報じる→虚報、誤報扱いを受け、他社の後追い記事なし
1985年 辛光洙ら逮捕され、原敕晁さんの拉致が発覚。同年6月28日、韓国側から、日本人拉致に北朝鮮の関与が公式に発表された。
1987年
11月
大韓航空機爆破事件
1988年
1月~3月
金賢姫元工作員が日本から拉致された「李恩恵」の存在を証言
その後、アベック3組の女性と「李恩恵」の関連に注目が集まるが、「李恩恵」と3組の女性の関連はなく、金賢姫元工作員の証言の信ぴょう性が疑われるようになる。

梶山答弁は、先回の記事でご紹介した参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋)に掲載されています。

その部分だけ抜粋したものはこちらです。

◆橋本敦君 外務大臣、自治大臣にお聞きいただきたいんですが、この三組の男女の人たちが行方不明になってから、家族の心痛というのはこれはもうはかりがたいものがあるんですね。

実際に調べてみましたけれども、六人のうちの二人のお母さんを調べてみましたが、心痛の余り気がおかしくなるような状態に陥っておられましてね、それで、その子供の名前が出ると突然やっぱりおえつ、それから精神的に不安定状況に陥るというのがいまだに続いている。それからある人は、夜中にことりと音がすると、帰ってきたんじゃないかということで、その戸口のところへ行かなければもう寝つかれないという思いがする。それからあるお父さんは、突然いなくなった息子の下宿代や学費を、いつかは帰ると思って払い続けてきたという話もありますね。

それから、御存じのように新潟柏崎というのは長い日本海海岸ですが、万が一水にはまって死んで浮かんでいないだろうかという思いで親が長い海岸線を、列車で二時間もかかる距離ですが、ひたすら海岸を捜索して歩いた。あるいはまた、一市民が情報を知りたいというのは大変なことですけれども、あらゆる新聞、週刊誌を集めまして何遍も何遍も読んで、もう真っ黒になるほどそれを読み直している家族がある。こう見てみますと、本当に心痛というのはもう大変なものですね。上海でああいう悲惨な事件も起こりましたけれども、家族や両親にとっては耐えられない思いです。

こういうことで、この問題については、国民の生命あるいは安全を守らなきゃならぬ政府としては、あらゆる情報にも注意力を払い手だてを尽くして、全力を挙げてこの三組の若い男女の行方を、あるいは恩恵を含めて徹底的に調べて、捜査、調査を遂げなきゃならぬという責任があるんだというように私は思うんですね。そういう点について、捜査を預かっていらっしゃる国家公安委員長として、こういう家族の今の苦しみや思いをお聞きになりながらどんなふうにお考えでしょうか。

◆国務大臣(梶山静六君) 昭和五十三年以来の一連のアベック行方不明事犯、恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚でございます。解明が大変困難ではございますけれども、事態の重大性にかんがみ、今後とも真相究明のために全力を尽くしていかなければならないと考えておりますし、本人はもちろんでございますが、御家族の皆さん方に深い御同情を申し上げる次第であります。

◆橋本敦君 外務大臣、いかがでしょうか。

◆国務大臣(宇野宗佑君) ただいま国家公安委員長が申されたような気持ち、全く同じでございます。もし、この近代国家、我々の主権が侵されておったという問題は先ほど申し上げましたけれども、このような今平和な世界において全くもって許しがたい人道上の問題がかりそめにも行われておるということに対しましては、むしろ強い憤りを覚えております。

◆橋本敦君 警備局長にお伺いしますが、これが誘拐事件だとして、時効の点を私は心配するわけであります。しかし、今国家公安委員長もお話しのように、あるいは外務大臣もお話しのように、これが北朝鮮の工作グループによる犯行だというそういう疑いがある。これが疑いじゃなくて事実がはっきりするならば、これは犯人は外国にいるという状況がはっきりしますから、その意味では時効にはかからない、そういうことは法律的に言えるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

◆政府委員(城内康光君) お答えいたします。

まず、一連の事件につきましては北朝鮮による拉致の疑いが持たれるところでありまして、既にそういった観点から捜査を行っておるわけであります。

一般論としてお答えいたしますと、被疑者が国外に逃亡している場合には時効は停止しているということが法律の規定でございます。

この梶山答弁に対し、記事を掲載したのは、産経と日経の2紙のみ。しかもかなり小さな扱いだったそうです。答弁がテレビのニュースに流れることもなかったようです。またこの日の予算委員会は報道各社の記者が傍聴に行っていたようですが、ニュース映像の宝庫であるはずのNHKにも残っていないそうです。

この梶山答弁をメディアが無視し報道しなかったことの代償は大きかったです。
1989年7月、拉致実行犯、辛光洙を含む在日韓国人政治犯29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出されたことを、先回の記事で書きましたが、この梶山答弁を含む、拉致関連答弁がいかにインパクトがなかったかこのことからもわかるでしょう。

拉致についての政府の次の公式アクションは、97年まで待たなければならなくなりました。

97年はあの横田めぐみさんの拉致疑惑が発覚した年です。