1985年6月28日 明らかになった日本人拉致に北朝鮮の関与 #拉致被害者全員奪還
本日6月28日は恒例の首相官邸前・安倍総理応援集会の日です。
実はこの6月28日という日は、北朝鮮の関与によって拉致された日本人のことが初めて公式に明らかになった日でもあります。
拉致疑惑を初めて日本のメディアが取り上げたのは1980年1月7日。
サンケイ新聞の1面に、
アベック3組ナゾの蒸発
という大きな見出しで掲載されました。しかし、この時は、まだ北朝鮮と断定するには及ばず、「外国情報機関が関与?」という表現にとどまりました。翌日のサンケイ新聞朝刊にも社会面で大きく取り上げましたが、残念ながら後追い記事を書くメディアはありませんでした。
<1980年1月7日、サンケイ新聞に掲載された記事>
それから、5年という年月を経て、1980年、日本人拉致の実行犯である辛光洙(静岡県出身の北朝鮮のスパイ。日本名は立山 富蔵)が、自らが拉致に関与した日本人、原敕晁(ただあき)さんに成りすまし、韓国に滞在中に密告により国家保安法違反の容疑で逮捕されました。
発表された6月28日には、日本の新聞各社が取り上げました。特にサンケイ新聞は、夕刊一面で「韓国当局 北朝鮮スパイ逮捕 ら致した日本人になりすます」と北朝鮮の国名を明記した見出しで報じました。
残念ながら各社とも大きくは報じなかったようです。
この拉致実行犯の辛光洙はその後どうなったかといいますと、韓国で死刑判決を受け、服役。
1989年7月、日本ではなんとこの辛光洙を含む韓国の民主化運動で逮捕された在日韓国人政治犯29名の釈放を嘆願するという趣旨の要望書が、当時の日本社会党・公明党・社会民主連合・無所属の議員有志133名の署名とともに韓国政府へ提出されました。
びっくりです。
この歎願議員の中には、のちに首相を務めた菅直人氏、長きにわたり衆議院議員を務め、日本社会党委員長(第10代)、衆議院議長(第68代)、社会民主党党首(第2代)などを歴任した土井たか子氏も含まれていました。
両氏とも、29名の政治犯の中に拉致実行犯がいるとは知らなかったと弁明と謝罪をしてます。
参考までに・・・ご覧ください。
それほど、日本人拉致の問題は知られていなかったということになりますが、とはいうものの、この要望書提出の8ヵ月ほど前の1988年3月26日、参議院予算委員会において、日本共産党(橋本敦議員)が辛光洙事件について質疑・追及をしています。署名議員も予算委員として委員会に出席していた(社会党5名、公明党2名、無所属1名)ため、国会議員が事実を知らなかったということは、問題ですね。
ちなみにこの時の橋本敦議員の質疑は共産党のHPに掲載されています。(参議院予算委員会での橋本敦議員の質問(抜粋))
また、この29名の政治犯の中には、辛光洙の補助工作員として原敕晁さんの拉致にも関与した大阪朝鮮民族学校の元校長・金吉旭(キム・キルウク)もいました。
また、今、杉田水脈衆議院議員が国会で取り上げている科研費の問題でも時々名前が挙がっている立命館大学の徐勝匿名教授もいました。ちなみに彼は、北朝鮮の「工作船」に乗り込み、非合法な形で北朝鮮に渡ったことを自ら認めている非転向政治犯です。
しかし北朝鮮のスパイである徐勝特命教授が国民の税金が原資である科研費から補助金をもらって研究活動をしてるんですね。
徐勝特命教授の研究内容はこちらをご覧ください。
話を辛光洙に戻します。
辛光洙は1986年に死刑判決を受けましたが、その後無期懲役に減刑され、1999年にミレニアム恩赦(金大中大統領による)によって釈放。その後「非転向長期囚」として北朝鮮に送還されました。北朝鮮では、英雄として辛の記念切手が販売されているとのことです。
その切手がこちら↓↓
前述のとおり、辛光洙は、原敕晁さんに成りすましたことがきっかけで逮捕されたわけですが、拉致したのは原敕晁さんだけではありません。帰国を果たした拉致被害者である曽我ひとみさんは北朝鮮滞在中に辛光洙から直接横田めぐみさんの拉致に関与したことを聞いたそうです。
日本人を拉致した犯人が、北朝鮮で英雄だなんて・・・・・
しかし、拉致被害者全員奪還を最優先課題にしている安倍首相
私たちも全力で応援しますので、絶対に#拉致被害者全員奪還
あきらめずにできることを全力でやろう!
最後に・・・
今回の記事は、産経新聞出版発行の
「メディアは死んでいた」(元産経新社会部記者阿部雅美著)を参考にさせていただきました。
執念の取材で拉致事件を追い続けてくださった阿部雅美氏に感謝いたします。
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